2023/5/1掲載

 

新井山梅照院にて太子講を挙行
開催日時 令和5年4月3日
詳細内容 新井山梅照院にて約40名が出席し太子講が執り行われました。本堂でのお焚きあげ、太子像の前での法要、東京都左官組合連合会・阿嶋会長はじめ参列者の焼香の後、直会に移り東京都左官職組合連合会中野支部・吉村氏の司会、東京都左官職組合連合会中野支部・松村支部長の歓迎の挨拶、東京都左官職連合会・遠藤会長のご挨拶、日本左官組合連合会・守谷元会長ご祝辞、ご住職の法話、日本左官組合連合会・長谷川前会長による乾杯ご発声、東京都左官職組合連合会中野支部・踏分氏による手締めにより、盛会裡に終了いたしました。



太子講とは室町時代の終わり頃から、聖徳太子の祥月命日を「太子講」の日と定め、大工や左官などの職人の間で講が行なわれるようになった。これは、四天王寺や法隆寺などの巨大建築に太子が関わり諸職を定めたという説から、建築、木工の守護神として崇拝されたことが発端である。江戸時代には忌日を中心に行われたが、開催日は一定ではなく、年に1回であるところや毎月開催しているところもあった。こうした場では掛け軸の絵画や彫像の太子像を祀る事が多く、その姿は聖徳太子が16才の時、父の病気平癒を願い、髪をみずらに結い、柄香炉を持つ孝養像であることが多い。こうした会合は、同業者集団が自主運営し、結束を図るために太子を職能の守護神として信仰して開催する会合である。職人の親睦の場であるほか、賃金の協定など様々な申し合わせを行う職人仲間の運営にとっても重要な日であった。  Wikipediaより