昭和21年、上野車坂・東京建材株式会社内に事務所をもった東京都左官職組合(創立明治16年)
も、マッカーサ一司令部の命令により日本政府が公布した団体等規制法に則り、事業主と労働者が
一緒に所属している団体は解散を命ぜられることになりました。当時の東京都左官職組合の副組合長高
島新吾氏(組合長は小林光太郎氏)により、労働組合法による労働組合を結成し、左官職人の地位向
上、生活の安定等を図るべく、昭和21年8月頃よりその準備に入り、当時の35区(後に現在の23
区)の支部長を招集し、上野氷川神社において会議を閉催しました。
昭和22年2月1日創立総会を上野氷川神社において開催し、総会の総意により東京都左官職
労働組合として正式に発足しました。組合規約、運動方針、予算の編成、新役員の選挙等を行い、初代執行
委員長として高島新吾氏を選出、副執行委員長として木原文治郎氏、鈴木吉悟郎氏、桃井平吉氏の
3氏を選任。また会計監事として石田創二氏を選任、組合業務の発足運営を行うことになりました。
新組合の発足に伴い、新事務所を急速に設立することになり、執行委員会を開催、当時としては
戦後の混乱期であり、新しく事務所を建築することは容易なことではなく、まして電話の入手は困
難なことであったので、焼け残りの場所を探すしかなく、各委員に依頼したところ、当時の副執行
委員長 桃井平吉氏より三田に建物は古いが電話のある家が、一軒あるとの話で、早速家主の古川氏
と交渉、三田四国町に事務所を獲得し、昭和23年1月に三田事務所に移転しました。その後、昭和34年12月に日本左
官会館の落成に伴い同会館内に移転し、昭和43年12月に現在の東京左官会館事務所に移転し、現
在に至っております。
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